吉野ビジターズビューロー
設立経緯と基本方針
その昔、記紀万葉の時代、吉野は神仙境として考えられていました。多くの宮廷宮人にとって、不老不死を得るあこがれの地でありました。
役小角によって修験道が開かれ、吉野山は修験の聖地として隆盛を極め、春の桜を多くの人々が愛でてきました。
また、国栖は大海人皇子によって紙づくりが伝えられたとされる由緒ある地であり、多くの工房が集まっています。
津風呂湖は、壬申の乱の際に大海人皇子が通ったと伝えられるところであり、昭和37年にダムが完成したことで一大景勝地となりました。
吉野は このような長い歴史と山深い自然といった観光資源に恵まれており、これまで多くの文人墨客が訪れ,吉野のすばらしさを讃えてきました。
また、吉野地域への玄関口としてもたいへんにぎわいました。
ところが、残念なことに近年の来訪者数は年々減少傾向にあり、地域においては人口減少や少子高齢化、過疎化が進行し、著しく活力が低下してきています。
我が国の観光様式が、団体旅行(マス・ツーリズム)から家族や友人同士といった少人数で好きなテーマに沿って体験や学習ができる旅行(オルタナティブ・ツーリズム)へと移行してきています。
そこで、こうした社会状況の変化を踏まえ、吉野町観光協会を新しい体制へ作り替えることにしました。
- 新規の会員を積極的に募り、新旧会員が一体となって観光振興に取り組む。
- 吉野地域の玄関口として周辺地域との連携を図る。
- 年間を通して来訪者に来てもらえるよう、おもてなしの充実を図る。
吉野ビジターズビューローの目指すもの
加えて、吉野山観光協会、津風呂湖観光協会、国栖の里観光協会は当面活動を存続いたしますが、観光を取り巻く環境は今後より厳しくなることから、長期的には一本化をめざします。