吉野に伝わる説話
吉野には記紀万葉の時代から数多の歴史が刻まれて、我が国の歴史上に大きく影響することも度々でありました。そのような中で、この地に暮らす人々の心の中に、様々な歴史に纏わる伝承が生まれ、育まれてきました。吉野の今を生きる人々に伝わる説話を少しだけ紹介しましょう。
大海人皇子の伝説
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① 夢見の桜
近江の大津の宮から逃れて、吉野に隠棲された大海人皇子が吉野山の日雄離宮でおられた冬のある日のことでした。うたた寝をされた皇子は、離宮の谷向かいにある丘の上にある一本の桜が満開の花を咲かせている夢をみたそうです。この夢を、離宮の監守であった角乘という人に夢占いをさせると、角乘は、「これは吉瑞に違いありません。皇子が御位(天皇の位)に就かれることを示しています。」と答えたそうです。これを聞いて、挙兵することを決意された皇子は、近江朝廷軍を破って、浄見原天皇(天武天皇)になられたのでした。
凱旋されて吉野にお越しになった天武天皇は、夢に見た桜の側に一堂を建てられて五臺寺櫻本坊と名付けられたということです。 -
② 袖振り山
大海人皇子が吉野山の日雄離宮で隠棲しておられたある日、縁側で琴を弾いておられると、向かいの山の上の空高く、五色の雲の中から、天女がその音色に合わせて袖をひるがえし振りつつ舞い降りてきたそうです。その舞は、今も宮中に伝わる五節の舞の起源といわれています。また、天女が降りてきたその山を袖振山、天女の影が映った山を御影山と名付けられたということです。
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③ 犬塚
近江から逃れてこられた大海人皇子が国栖の吉野川に辿り着かれた折、追っ手が迫ってきたそうです。皇子が河原で逃げ場をされているのを、土地の翁と媼がそばにあった川船を裏返して、その中に皇子を隠れさせました。追っ手が引き連れてきた犬が、その川船で吠えましたが、翁がその犬を叩き殺して事無きを得たのでした。追っ手が引き上げた後、翁と媼は殺してしまった犬を哀れんで、丁寧に葬ったところが、今も犬塚として伝わっているのです。このことから、国栖の窪垣内地域では今でも犬を飼うことせず、地域にある御霊神社には狛犬もありません。