修験道

修験道の山 吉野

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① 修験道とは

吉野は、我が国史上に大きく影響を及ぼすことが度々起こった地ですが、大抵のこれらの事象の背景となって動いたのは、吉野の修験の勢力であったといっても過言ではありません。
修験道とは、人間本来が持ち得ている自然崇拝に、外来の仏教・道教・陰陽道などが融合して形成された我が国独自の宗教です。修験の「修」とは苦修練行の修、「験」とは験得を表すといいます。つまり、山に分け入って難行、苦行をすることで、普通の人では持ち得ない能力を身につけようと修行し、目に映る森羅万象全てが神仏であると考え、神社仏閣はもとより山川草木悉くに礼拝することで、太古の昔に人間が持ち得ていた本能のような霊力を得ようする極めて野性的、庶民的な信仰といえるでしょう。

② 修験道の起こり

吉野はその修験道の発祥の地とされています。飛鳥時代以前、都が営まれた奈良盆地は、盆地性気候であるが故に降雨が少なく、大河もない、農耕民族にとっては厳しい環境の土地柄でした。ところが、その盆地の南側に東西に横たわる龍門山塊と呼ばれる低い山並みを越えると、そこには大河(吉野川)が滔々と流れ、さらにその南には、水の源たる大峯の山々が重畳と広がっています。この風景、つまり吉野を見た古代の人々は、なんとも水の豊かな土地であることよと感じ入ったことでしょう。そして、吉野を神さぶる地と考えたようです。
中でも、吉野川のすぐ南といってよいところに、円錐形で東西南北に水源をもつ小高い山があることに古代の人々は気がついたのです。この山を天の水分の峰(あめのみくまりのみね)と名付け、水を分け与えてくれる、あるいは天候を司る神の山と崇めたのです。そして、この山に祈ることで霊力が身につくと考えるシャーマンたちがその山の中懐に庵を結び始めたのが、吉野の信仰の始まりであったのかもしれません。その後の時代の変遷と共に、山には入るルートや信仰の対象なども変化しつつ、現在に伝わる修験道として成立していったとの説があります。

③ 吉野修験の開祖

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修験道の開祖は、役小角とされています。歴史上に表れる役小角は、続日本記の文武天皇3(699)年5月24日の条だけです。
その内容は

『役君小角伊豆島ニ流サル。初メ小角葛木山ニ住シ呪術ヲ以テ外ニ称サル、従五位下韓国連廣足初メ師ト為ス、後其ノ能ヲ害イ、讒スルニ妖惑ヲ以テス。故ニ遠処ニ配ス、世ノ相伝ニ言ク、小角能ク鬼神ヲ役使シ、水ヲ汲ミ薪ヲ採セ、若シ命ヲ用イザレバ即チ呪ヲ以テ之ヲ縛ス。』

これだけの記述しかありませんが、世に知られた呪術者であったことがわかります。彼は、役行者とも称され、後に神変大菩薩との菩薩号を光格天皇から賜りました。出身は現在の奈良県御所市茅原の里と伝えられ、幼少の頃から仏道修行に励み、葛城山で修行した後、全国の山々を開山したと伝えられています。最後に、熊野から吉野に至る大峯の山々を33度修行した後、千日間、大峯山上で参籠修行し、三世救済の本尊、蔵王大権現を感得したなどと様々な伝承が伝えられています。

④ 吉野修験の本尊

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吉野修験の本尊は、役行者が大峯山上で感得したと伝えられている金剛蔵王権現という権現仏です。釈迦如来・千手観世音菩薩・弥勒菩薩の三仏が忿怒の形相荒々しい姿に変じたものといわれます。そして、過去・現在・未来の三世を救済してくれる権現仏として、今も多くの信仰を集めています。
役行者がこの尊像を感得した際、山桜にこのお姿を刻んで奉戴したとの伝承から、桜は蔵王権現の神木とされて、平安時代から吉野に参詣する人々が、桜の苗木を吉野の其所此所に植え置く献木運動が起こり、吉野山は桜の山となったとの伝承があります。

⑤ 吉野修験の霊場

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修験道の最大・最高の霊場は、大峯山山上ヶ岳であり、その山下にあたる吉野山です。吉野修験のみならず、全国の修験者・山伏が、吉野大峯で修行することに憧れを持っているといえるかもしれません。

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吉野山とは、その北側を流れる吉野川(紀ノ川の上流)の柳の渡から青根ヶ峰に至るおよそ9kmの間を吉野山と呼びます。その吉野山を含んで、柳の渡しから山上ヶ岳頂上のすぐ南にある化粧の宿(けわいのしゅく)までの間、およそ25kmの間を金峯山(きんぷせん)と呼びます。さらに、その金峯山を含んで、柳の渡しから熊野本宮大社が鎮座する音無川に至る一連の山々の総称を大峯山と呼ぶのです。その大峯山、つまり国土地理院の地図では大峰山脈と標記される一体が、吉野修験の霊場であり、修行の道場といえます。

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開祖の役行者が本尊蔵王権現を感得し、最初に祭祀したとされる地である山上ヶ岳頂上には、山上蔵王堂(大峯山寺本堂)があり、蔵王権現の出現の地とされる湧出岩があるほか、参詣者が宿泊可能な参籠所などがあります。山上ヶ岳は、5月3日より9月23日迄の間のみの開山であるため、吉野山には、いつでも誰でも参拝できるようにと創建された山下蔵王堂(金峯山寺本堂)を中心に塔頭寺院や神社、旅館。土産物店などが軒を連ねています。また、大峰山脈の稜線伝いには、修験者・山伏の最極の修行道場である大峯奥駈道が続いており、今も古式に則った修行が行われています。

⑥ 吉野修験の行法

十界の修行

開祖役行者の遺訓として伝えられているものに「身の苦をもって心乱れざれば証果自ずから至る」とあります。また「我が道に入り証果を得んと欲する者は十界噸超の行をなすべし」ともあります。山に入って厳しい修行をすることで悟りの境地に入ることができるということですが、その修行は並大抵のものではありません。
その十界の行を山の行になぞらえて簡単に説明してみましょう。

  1. 地獄界:先達の命に従い、雑役に服し、追い立てられる。
  2. 餓鬼界:僅かな食事でも歩き、動き続けて、飢えの苦しみを味わう。
  3. 畜生界:空腹に耐え、重い荷物を背負わされて、牛馬のように扱われても歩き続ける。
  4. 修羅界:杖を使ってねじ合い、押し合いをさせられて、自らが持つ醜い争いの心を見せつけられる。
  5. 人間界:前非を悔い、過去の悪行を告白して懺悔の至情をあらわす。(断崖絶壁に身を突き出される)
  6. 天界:峰中におられる神仏を敬い礼拝する。
  7. 声聞界:小鳥のさえずり、水の流れの音などあらゆる音を耳にして、不撓不屈の心を養う。
  8. 縁覚界:重畳たる山々の姿や滔々と流れる川の流れを見て、心の晴明を誓う。
  9. 菩薩界:行徳を積み、それを以て、社会を浄化し、衆生を救う。
  10. 仏界:妙覚の仏地に入り、即身成仏の境地に入る。
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金峯山四門

吉野山から山上が岳に至る金峯山での十界の修行を、さらに具体化して、修行の道順を示したものが金峯山四門と呼ばれる四つの門です。

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    発心門(鐘の鳥居)

    吉野山の蔵王堂の北側に位置します。いままで暮らしてきた俗界を離れ、菩提心を発するところとされ、ここよりは、山下の蔵王堂をはじめ吉野山の諸堂諸社に参詣して、いよいよ菩薩行に専念する心を高める場といえるでしょう。

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    修行門(二之鳥居)

    金峯神社の北側に位置します。これより先は、民家もなく、空腹と疲労に苛まれながら、四寸岩、小天上、大天井などの山々を越えて、鞍掛け、油こぼし、鐘掛けなどの岩場をよじ登らねばなりません。その苦しい修行の始まりを告げる門といえるでしょう。

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    等覚門(三之鳥居)

    山上蔵王堂の1kmほど北側のお亀石の上の峠に位置します。等覚は菩薩の極位を意味し、仏の悟りに等しくなってきたことなのですが、ここまで来ると概ね様々な行場を終えて、あとは最大の荒行(西の覗き)を残すのみということを言っているのでしょう。

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    妙覚門(四之鳥居)

    山上蔵王堂に到達するすぐ手前の坂道に位置します。かつては、山上蔵王堂のすぐ前にあって、鳥居型であったと言うことですが、近年の再建時に現在の高麗門形式の門に改められました。妙覚は仏の無上の悟りを意味して、いよいよ仏地に到達したことを言っているのでしょう。

大峯奥駈修行

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吉野から熊野までの大峰山脈の稜線伝いに続く120kmにも及ぶとされる道を、ひたすら祈り、ひたすら歩む修行を奥駈修行または奥通修行といい、修験道最極の修行といわれています。吉野川の柳の渡しを北の起終点として、熊野音無川の畔、本宮証誠殿を南の起終点として、75ヶ所の靡きといわれる拝所が設定されています。靡(なび)きとは、この道が役行者が33度往復して修行したといわれる霊場であり、道場でもあるため、後世の修行者が開祖の遺徳に靡いて歩むという意味であるとの説があります。

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この道を、現在では大峯奥駈道と呼び、75ヶ所の靡きを大峯奥駈七十五靡きといいます。靡きの一番は本宮証誠殿で、七十五番が柳の渡しとなっています。つまり、南の方から北へ歩むことが正式のルートなのです。そのため、南から北へ修行することを順峰、北から南へ修行することを逆峰といいます。そのいずれにしても、かつては、道沿いの靡きだけではなく、谷々に降り、谷向かいの山に登り、その地に祀られている神仏に参拝する修行にも日時を費やし、一ヶ月以上をかけるものでした。現在では、省略化されているとはいえ、8泊9日程度の日数をかけて行う厳しい修行であることは変わりありません。

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靡きで礼拝する対象は、蔵王堂などの仏堂だけとは限りません。吉野水分神社のような大きな社であったり、小さな祠、石像、さらには巨木、巨岩、滝、山そのもの等々、多岐に亘ります。なぜなら、修験道には森羅万象、山川草木悉くが神仏の顕現であるとの基本的な理念があるからです。ありとあらゆるものが礼拝の対象と言っても過言ではないのです。この靡きで礼拝しながら、途中にある危険な行場で死ぬ思いをすることで、日頃の自分を死に追いやり、まさに神仏である大自然に抱かれることで、清浄となって再び生まれなおす「擬死再生」が奥駈修行であると言われます。