世界遺産

世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道
吉野 大峯 大峯奥駈道

荘厳な歴史と自然が織り成した軌跡がここにある

世界文化遺産 霊場『吉野・大峯』(紀伊山地の霊場と参詣道)

紀伊半島の南半分に広がる紀伊山地は、神話の時代より神々が鎮まる特別な地域とされてきました。その結果、起源や内容を異にする「吉野・大峯」「高野山」「熊野三山」の三つの霊場とそこに至る参詣の道、あるいは修行の道が生まれ、都をはじめ全国から多くの人々が訪れるところとなりました。なかでも吉野・大峯地域には、日本古来の山岳信仰に外来の仏教、道教、陰陽道などが融合した我が国独自の宗教「修験道」が生まれ、皇族貴族から一般庶民に至るまで広く信仰を集め、我が国の文化の発展と交流に大きな影響を及ぼしたのです。
その修験道の文化が今も色濃く残る吉野・大峯地域を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」が、平成16(2004)年にユネスコの世界遺産に登録されました。金峯山寺・吉水神社・吉野水分神社・大峯山寺・玉置神社の国指定文化財建造物や、桜に彩られる史跡名勝吉野山、山伏の修行の道である大峯奥駈道が、吉野大峯地域におけるその中核的資産とされています。これらは、世界でも類を見ない貴重な資産として価値が高いものなのです。

世界に誇る『文化的景観』

山岳信仰の霊場と山岳修行の道

世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」のキーワードでもある『文化的景観』という言葉は、『人間と自然環境との相互作用の様々な表現』を意味します。吉野・大峯地域においては、『信仰や宗教、文学、芸術活動などと関連する聖山としての景観』と言い換えてもよいでしょう。
吉野・大峯地域には金峯山寺蔵王堂をはじめとする文化財が数多く残されています。それらの文化財建造物や大峯奥駈道などは、太古の昔から人々の信仰の対象とされ、修行の道場とされてきました。そして、現在に至ってもなお、大自然を舞台として、多くの人々によって修行が続けられています。世界遺産「吉野・大峯」は単なる寺社と道ではなく、当に「山岳信仰の霊場と山岳修行の道」なのです。

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    金峯山寺蔵王堂(国宝)

    吉野山のシンボルでもある蔵王堂は、金峯山寺の本堂です。本尊蔵王権現尊像三体のほか、多くの尊像を安置しており、単層入母屋造り裳階付き檜皮葺で、高さ33.9m、桁行25.8m、梁間27.3mの堂々とした威容を誇っています。寺伝では白鳳年間に役行者が創建したといわれ、現在の建物は天正20(1592)年の再建です。68本の柱で支えられていますが、中には、ツツジや梨の木の柱もあります。

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    金峯山寺仁王門(国宝)

    仁王門は、重層入母屋造り本瓦葺きで、3間1戸の楼門です。この門は、金峯山寺の北門で、棟の高さは20.3m、桁行12.3m、梁間6.9mの、我が国屈指の山門といわれています。現在の建物は、上層が康正年間(1455~1457)、下層が南北朝時代の建造と考えられています。身の丈5.3mの仁王像には、大仏師康成によって造られた墨書名があります。

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    金峯山寺銅の鳥居(重要文化財)

    銅の鳥居(かねのとりい)の本来の名称は「発心門(ほっしんもん)」といい、菩提心を発するところとされ、初めて大峯修行を志す行者の行場の一つです。高さ7.6m。創立年代は不明ですが、聖武天皇が奈良の大仏の余銅で造られたという伝説があります。吉野山から大峯山上「修行」の間にある金峯山四門の第一門で、「修行」「等覚」「妙覚」の三つの門が後に続きます。

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    吉水神社書院(重要文化財)

    元は吉水院と呼ばれる金峯山寺の塔頭寺院の一つでしたが、明治初年の廃仏毀釈のなかで神社に改められました。一時は後醍醐天皇の行在所となり、また、源義経が潜んだこともあり、豊臣秀吉の花見の本陣ともなった所でもあります。単層入母屋造りの書院には、南北朝時代の古文書をはじめとする文化財が100点以上展示されています。

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    吉野水分神社社殿(重要文化財)

    水を分配する天水分大神(あめのみくまりのおおかみ)を祀る古社で、"みくまり"が"みこもり"となまって、俗に子守明神、子守さんと呼ばれて親しまれており、子授けの神としても信仰されています。現在の社殿は、慶長9(1604)年に豊臣秀頼が再建したもので、本殿(檜皮葺)、拝殿(柿葺)、弊殿(柿葺)、楼門(栃葺)、回廊(栃葺)からなる桃山時代の大変美しい建物です。

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    吉野山(史跡名勝)

    大峰山脈の北端に位置し、東西を急峻な谷に挟まれた馬の背のような尾根上に、金峯山寺の門前町として発展してきた地域です。役行者の開山以来、修験道の聖地として信仰を集め、源義経と静御前の悲話や南朝の哀史など数多くの歴史の舞台となりました。また、平安時代以降、我が国屈指の桜の名所としても知られています。

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    大峯奥駈道(史跡)

    紀伊半島の脊梁大峰山脈の稜線伝いに続く修験道の修行の道です。北は吉野から南は熊野まで約170kmにも及ぶこの道には、75箇所の靡きと呼ばれる拝所や行場が設けられています。修験者(山伏)にとって、大峯奥駈道は曼荼羅の世界であり、最極の修行道場とされているのです。史跡大峯奥駈道には金峯神社や玉置神社の境内地も含まれています。

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    大峯山寺本堂(重要文化財)

    大峯山寺は、山上ヶ岳の山頂(天川村)にあるお寺で、明治初年の廃仏毀釈以前は、金峯山寺の山上蔵王堂でありました。毎年5月3日から9月23日までの間だけ開かれ、本堂内には中央に蔵王権現尊像、右側に役行者尊像2体が祀られています。現在の建物は、内陣が元禄4(1691)年、外陣が宝永3(1706)年に建造されたもので、桁行八間、梁間八間、一重、寄棟造、銅瓦及び銅板葺となっています。